JAFCOの投資とは

  1. TOP
  2. & JAFCO POST
  3. タオルの「グローバルスタンダード」を創る。絶望の淵から這い上がった二代目社長の雄志
タオルの「グローバルスタンダード」を創る。絶望の淵から這い上がった二代目社長の雄志
タオルの「グローバルスタンダード」を創る。絶望の淵から這い上がった二代目社長の雄志

起業を決めた背景や、事業が軌道に乗るまでの葛藤、事業を通じて実現したい想いを聞く「起業家の志」。
第22回は、1970年創業のタオルメーカーの二代目社長、伊澤タオル株式会社 代表取締役 伊澤正司氏にお話を伺いました。


【プロフィール】
伊澤タオル株式会社 代表取締役 伊澤正司 (いざわ・しょうじ)
アパレル企業を経て、1989年に伊澤タオル入社。創業者の伊澤正美が若くして他界し、2代目として当社を引き継ぐ形で1997年、33歳の時に代表取締役に就任。従来のタオル業界には無かった発想を次々と導入することで変革を起こし続け、伊澤タオルを業界トップクラス企業に導く、タオル業界のゲームチェンジャー。


What's 伊澤タオル株式会社】
マスマーケットに向けた"タオルのグローバルスタンダード"を創る。
タオルを製造・販売する企業は国内・海外には数多く存在しますが「悩んだらこのタオルを買えば間違いない」という業界標準となるタオルは未だ世の中には存在していません。1枚5,000円を超える高級タオルから100円ショップの安価なタオルまで「タオル」といっても商品幅は幅広く、細分化されている為に、自分の好みに合致したタオルに出会えていない消費者(=タオル難民)は非常に多い状況です。伊澤タオルは、使い心地に拘り続けて「タオルのグローバルスタンダード」創る事をミッションに掲げ、"売れるタオルとは何か"を常に徹底的に追求しています。

Portfolio


33歳で父の会社の後継ぎに

ー子ども時代、起業家であるお父様の姿をどうご覧になっていましたか。

父が大阪のタオル会社を辞めて伊澤タオルを創業したのは、私が67歳の頃。当時は自宅と事務所を兼ねていて、父が仕事する様子をいつも間近に見ていたので、自然と「いつか自分が後を継ぐんだろうな」と思っていました。


ー実際に代表取締役に就任されたのは1997年。33歳の若さでした。

一旦アパレルの会社に勤めてから20代中盤で伊澤タオルに入社したのですが、30歳を過ぎた頃に父が体調を崩してしまって、肺がんでした。家族がいなくなってしまうかもしれないという混乱の中で、思ったよりずっと早く自分が後を継がなければいけないという現実が差し迫り、苦しい日々でしたね。他界するまでの2年と少しの間で仕事のことをいろいろと教わり、33歳で二代目を継ぎました。


ー当時の会社はどのような経営状況でしたか。

小規模ながらも経営は安定していました。当時のタオル業界はギフト向け市場が7割を占めていましたが、父は残り3割の実用品としてのタオル作りにこだわっていて、伸びしろは少ないけれど確実にある市場で地道に事業を続けていくという経営方針だったのです。

誰かにタオルを贈る時、タオルそのものの質というよりは「有名ブランド」「高級」「可愛いマスコットの刺繍がついている」等の判断基準で選ぶことが多いと思います。パッケージやラッピングにもお金がかかっているものを選ぶでしょう。それはそれで情緖的には非常にいい世界だと思っていますが、そこを追求すると「吸水性の高さ」や「肌触りの良さ」といった生地自体の性能が注目されにくくなってしまう。父はタオルメーカーとしてそこに違和感を抱いて、生活者視点に立った実用タオルを作り続けていました。

_DSC2775.jpg

ー二代目社長となり、お父様の想いや取り組みを引き継いだ部分と、ご自身で新たにチャレンジした部分があったと思います。それぞれお聞かせください。

実は、やっていることの根本は先代とほぼ変わっていません。ただ、2000年に入り流通業界が大きく変革したことで、当社も舵を切る必要が出てきました。

タオル業界は企業数がとても多く、私が継いだ時は1,000社くらい。近年はだいぶ減りましたがそれでも300社はあります。その分、コンパクト経営ではあるものの、タオルという大きい市場の中で各社の受け持ちがきちんと区分けできていました。ところが、大型の小売店や卸売業者が集約され、商品開発力やコスト競争力を高めていく動きが出始めてから、当社の中で大きな課題が浮上してきました。得意先が非常に限定的だったことです。

当時の得意先は、特定のGMSさんや地方のスーパーさんだけ。流通の再編という大きな変化の中で、得意先でも取引するメーカーの色分けがすでに進んでおり、このままでは我々は飲み込まれてしまうという危機感を抱きました。得意先のバリエーションを増やし、1社あたりの売上依存度を下げ、タオルメーカーとして市場にある程度の影響力を持てるくらいの規模まで拡大しなければならない、と。


ー舵を切るために最初に着手したことは?

新規の得意先にとにかく売り込みに行きました。大手を中心にGMSやコンビニ、専門店、ホームセンター等、ほぼ全業態まわりましたね。でもだいたいが門前払い。取引先はどこももう決まっていますから、よほどの知名度のある商品でもない限りリプレイスするのは困難です。提案の仕方はずいぶん勉強しましたが、新規開拓できた企業は結局ゼロでした。


崖っぷちから見出した「ワーカー向けタオル」という市場

ーその状況からどう打開していったのでしょうか。

結果的には大手コンビニ企業と取引できるようになるのですが、その前に大きなピンチが訪れます。もともと大きな得意先だったA社の株主が変わり、A社の取引先も株主とお付き合いのあるタオルメーカーに徐々に代替されることになったのです。「頑張らないと取引がゼロになるかもしれない」とA社のバイヤーの方に言われた時のショックは今も忘れません。その頃ちょうど子どもが生まれたことも重なり、目の前が真っ暗になりました。

もちろん、取引を続けてもらえるように様々な提案をしましたが、大きな経営判断のもとで決まったことなので事態は好転せず。いよいよ危ないという時にバイヤーの方と話した帰り道は、あまりのショックに気力を失い、そこにあった居酒屋の傍に座り込んで動けなくなるほどでした。でも、やっとの思いで宿泊先のホテルに辿り着いた時、ふと冷静になり「紙に書き出してみよう」と思ったんです。これまでの自分のA社への行動を。書き出して客観視してみると、不安なあまり独りよがりの提案ばかりしていたことに気づき、後日バイヤーの方を改めて訪ねて謝罪と再提案をしました。

こんなことを言ったら笑われるかもしれませんが、あの時の私を冷静にさせたのは父なんじゃないかと思っています。ショックで思考が停止した私を見かねて「紙に書いて客観視しろ」と。

_DSC2765.jpg

ー再提案は通りましたか。

その時は最悪の事態を免れたものの、崖っぷちであることは変わりません。A社で現場作業員の方に向けた売り場を展開することになり、そのコンペにも参加しましたが、結果は駄目でした。

ただ、それがきっかけで着目し始めたのが「ワーカー向けタオル」という市場。親戚の左官職人に話を聞くと、ワーカーの間ではBというブランドのワークウェアが憧れの存在なのだと言います。であればB社とコラボレーションできないかと思いつき電話をかけてみるも、社長まで取り次いでもらえません。そこで遠い親戚を辿りに辿って、B社とお付き合いのある作業着店の店長さんをどうにか紹介してもらい、社長との商談を取りつけてもらったのです。


ー凄まじい行動力と根気ですね。

でも現実は甘くなかった。話を聞いてもらうために、作業員がヘルメットをかぶる時に頭に巻くタオルのサンプルを試作して持参したのですが、最初は見てももらえませんでした。何度か訪問しても社長の様子は変わりません。

ですが何度目かの訪問の帰り、B社のある岡山から瀬戸大橋がきれいに見えていたので、私は大阪生まれだけど両親は香川出身だと何気なく話すと、社長の目の色が変わりました。実は社長のルーツも香川で、「香川の血が流れているならお前も辛抱強いやろう」と言うのです。それを機にようやくサンプルを見てくださり、紆余曲折を経て晴れてお取引いただけることに。コラボレーションしたタオルは全国の作業着店で3万枚も売れ、新聞や雑誌でも取り上げられるようになりました。


ーそこでの実績が大手コンビニC社との取引に繋がるのですね。

そうです。マーチャンダイザーの方が当社の記事を見て連絡をくださり、サンプルをたくさん持って夢のような気持ちで本社に伺ったことを憶えています。C社で販売できたことでA社とのお取引も徐々に戻りましたし、他の大手流通企業のタオル担当の方にとっても「C社と取引している=供給体制が整っている」という証明書になるので、新規取引へのシード権をいただいた感覚でした。


タオル業界のスタンダード商品を作る

_DSC2851.jpg

C社との共同開発タオルシリーズはSNSでも話題です。最初の発売は2013年ですが、そこからアップデートしている部分はありますか。


原料はもちろん、紡績方法を見直して毎回リニューアルしています。タオルというのは、柔らかさを追求するとケバが出やすくなり、耐久性が落ちてしまいます。一方で、吸水性を高めようとすると柔らかさが減ってしまいます。使い古して硬くなったタオルはものすごく水分を吸いますよね。あれは、洗濯を繰り返して油分が飛ぶことで吸水性が高まっているのです。

つまり、タオルの質を向上させることは、「吸水性」「肌触り」「耐久性」「ケバ落ち」それぞれの相反関係との戦い。どれか1つを向上させるだけならどの会社もできますが、23つを同時に良くするには高い技術がいる。うちはその技術を持っています。C社との共同開発では全項目80点以上が求められるため、リニューアルではどれか1つではなく全体的に質を向上させています。


ーそれを可能にしているのが、タオルメーカーでは珍しい御社の研究開発部門というわけですね。この部門ができた経緯は?

もともとは自宅がラボ代わりで、家でタオルを洗濯したり干したりを繰り返しながら我流で研究していました。そのうち、大阪府や東京都が中小企業向けに運営している産業技術センターの計測機器を使って分析するようになり、より専門的な研究を進めるために信州大学や京都工芸繊維大学と産学連携もスタート。大学との研究にあたっては自社で研究方針を打ち出す必要があるので、社内にもラボを構えることになりました。

タオルは誰もが家で使うものなのに、しっかり研究して業界を良くしていこうとする人はそれまでいなかった。だから当社の取り組みにはたくさんの有志が集まってくれました。現在ラボに置いているデジタル顕微鏡やマイクロスコープも、大手機器メーカーが当社の想いに感動してタオル研究に最適な機器の研究提案をしてくださったものです。

C社との共同開発タオルシリーズをはじめ、コンビニ各社や小売店、ネットショッピングサイト等でもヒット商品を生み出すことができているのは、毎日地道に基礎研究を重ねて質向上に努めているからに他なりません。研究開発部門は当社の成長の源泉とも言えますね。

_DSC2814a.jpg

20218月にはジャフコと資本提携し、新たなスタートを切りました。どのような目的があったのですか。

数年前から海外進出を計画しており、2020年にアメリカのホームファッション大手のWestPoint Groupと業務提携しました。その支援をしてくれたコンサル会社に「上場したい」と相談したところ、紹介いただいたのがジャフコさんでした。

上場の目的は会社の拡大ではありません。私は、タオル業界のスタンダード商品を作りたいのです。例えば洗濯用洗剤なら、誰もが知っている業界標準となるような商品がありますよね。それを基準に「高い」「安い」を判断したり、「いつもよりちょっといい洗剤を買おう」と贅沢を楽しんだりしていると思います。でもタオルには「これを買えば安心」という商品がない。いろんな商品を試してみて自分に馴染むものを探す人が多いでしょう。つまり、消費者にとって「買いにくさ」につながっていると思うのです。

これはひとえに我々タオル業界の努力不足。市場でシェアを2割取れば有名商品を作れるにもかかわらず、自分の会社を守ることで精一杯で誰も目指してこなかった。競争が生まれなければ産業自体も向上していきません。その状況を打破し、信頼度と知名度を上げてタオルのスタンダードを確立するには、業界で誰も成し遂げていない上場を目指す必要があると考えました。上場すれば、海外企業と取引や提携をする際の「安心証明書」にもなります。


ーパートナーとしてジャフコを選んだ決め手はどこにありましたか。

3年間で20社以上にお会いしたうち、上場へのこだわり、「濃度」のようなものを一番強く感じたのがジャフコの水谷さん。上場を目指すにあたってはリスク分散を考えるのが普通だと思いますが、水谷さんは上場に対する戦略を最も明確に策定してくれ、私が「もし上場できなかったらどうしますか」と質問すると「社長が少しでも不安に感じているのであれば投資はやめます」と言い切りました。そんな返答をしてきたのは彼だけ。私は世間のために上場を目指すのだから、自分の考えが中途半端にブレてはいけない。そのためにもパートナーはジャフコの水谷さんしかいないと思いました。


ー資本提携する前と後で、会社やご自身の状況に大きな変化はありましたか。

社内の役割が明確になりました。IPOは専門的な技術や経験を要するので、体制の整っている大企業でなければ社内で完結させるのは困難です。IPOはジャフコさんにお任せし、社員の役割分担もきちんと整理したことで、私は事業成長により集中することができています。

_DSC2859 (1).jpg

伊澤氏とジャフコ担当プリンシパルの水谷太志(左)



世界という一括りのマーケットを見据えてほしい

ータオル業界のスタンダード商品を作るために、今後取り組んでいくことをお聞かせください。

タオルの国内市場規模は、販売価格で1,600億円、我々の出荷価格で1,000億円ほど。2025年までに上場し、その頃には日本で2割のシェアを獲得してスタンダードを確立できている予定なので、次は世界でのスタンダードを目指します。タオルは世界で70億人が使っていると言われており、市場規模は1兆円。その2割、つまり2,000億円を売り上げるためにも、当社の考え方に賛同してくれる海外の同業者を買収しながら規模を拡大していきたいと考えています。そうすれば当社を追随する競合が必ず出てくるはずですから、商品がさらに進化して産業全体が盛り上がり、非常に面白くなってくると思います。


ー伊澤様のお考えは、どこまでも消費者視点、生活者視点ですね。

綿を仕入れて、タオルに加工して、卸して、消費者の手元に届くまでには、様々なマージンや税金が上乗せされていきますよね。我々メーカーや製造工場、流通企業の売上は億〜兆円規模ですが、消費者の給料は数百万円。そう考えると、消費者が支払っているお金は大変な額です。そんな強烈な行動力や判断力で商品を買ってくださる消費者を、我々は無視してはいけない。上乗せされている金額を適正にして、適正価格で上質な商品を提供する。どの業界もできていることを、タオル業界でも当たり前にしていかなければならないと思っています。


ー最後に、起業家の皆様へアドバイスやエールをいただけますか。

今後は国と国の垣根がなくなり、グローバルという言葉が陳腐になるくらいグローバル化するでしょう。日本は残念ながら世界に取り残されかけています。高度経済成長期に頑張った人たちの恩恵でこれまでやってきましたが、今回のコロナ禍で1からのスタートになり、経済がいまだに戻らないのは日本くらいです。

だからこそ、これから事業を始める人は、国境も国籍もないくらいの状態で始めたほうがいい。「日本から発信する」「日本で評価されているから世界でも評価されるだろう」といった考え方でもなく、最初から世界という一括りのマーケットを見据えるんです。日本人としてではなく地球人として、世界でぜひ頑張ってほしいと思います。

_DSC2908 (1)a.jpg

_DSC2902a.jpg

若い社員で活気づく本社オフィス。屋上には打ち合わせ等に使えるスペースも。